ノンフィクション小説 第3話 ~華やかなケーキ屋さんOPENの裏で起こっていた刑事事件~
2024/02/06
杉之原千里 ノンフィクション小説 第3話
~華やかなケーキ屋さんOPENの裏で起こっていた刑事事件~
これからお話をする出来事はすべて現実でおこった事です。
栃木での最終章に進む前に 私の1つ1つの日々の行動には意味があり、その背景がとても重いものである事を理解いただきたく栃木での出来事の前に実際に私が向き合った刑事事件についてお話をします。
これからお話する出来事は、私自身が、もう時効だと判断した出来事です。
家族以外知る人はいません。
こうしてノンフィクション小説として残していこうと思えたのは、私達家族の楽しい生活の裏には、人には言えない暗闇と努力があるという事を知っていただく事で、華やかに見える世界の裏側には、比例して、暗闇の世界も転がっているという事です。
世の中、そんなに甘くないのです。
生きるという事を必死で頑張っている人達には、同時に神様からの試練もそれなりに受けます。そうやって、光と影は平等に存在するんです。
2020/01/26 当時、みいちゃんは、小学生6年生でした。
華やかな世界の言葉で表現するならば、みいちゃんは、いきなり脚光を浴びました。当時、テレビ、新聞、雑誌の取材があとを絶たず、結果3年間、取材が途切れませんでした。それまでは、コミュニケーションが苦手なみいちゃんは、誰の目に止まる事もないような目立たない女の子でした。
夢を見ているようでした。アイドルになったかのようでした。
世間は、みいちゃんをすごいね、すごいね、と言ってくれて、日本中からメールや手紙が届きました。
そうです。私達親子は、その華やかな世界に一歩足を踏み入れてしまったのです。
その世界は、本当に華やかでした。自分達が好きでそうなったわけではないですが、これまで経験した事のないような事も経験できました。芸能人やタレントさんと会う事もできました。みいちゃんと2人で歩いていると、声をかけられる事も今でもあります。
きっと世間からは、良いように見えてるんだと思います。
確かにみいちゃんの頑張りは、とんでもない努力の上に成り立っていました。その世界に足を踏み入れた事を後悔しているわけではありません。それはとても素敵な世界でした。今もです。人に何かを伝える事ができる存在であり続けられる事を嬉しく思っています。
母として
でも、実は、その世界に入ってしまった事で、私は、普通の生活ではあり得ない事を耐えるだけの心の準備が必要になりました。
2020/01/26 テレビデビューした事と裏腹に、私は「みいちゃんを全力で守る」という役割を課せられました。みいちゃんにこれまで家族が付き添うのは、みいちゃんが1人で外出ができない、という事とは別にみいちゃんのボディーガードがいるという意味からでした。当時、刑事事件になる一歩手前だったのです。
2年間、耐えました。
あらゆる事がありました。
男性や子供から大量の連絡がきました。
でも、私が、うまくガードをしてきました。ファンとストーカーは、全く別物です。ストーカーは、度を超すと刑事事件になるのです。そうストーカーです。いや、それ以上です。ストーカーは、すべてを自分のモノにしてしまいたい衝動にかられます。
そのターゲットがみいちゃんでした。
見極めるのが、とてもとても難しいのです。
ケーキ屋さんをOPENしてから、私は、警察に何度も足を運ぶ事になったのです。もう守れないかもしれない。そう相談し、あらゆる策を提案してくれました。
世間でいう爆弾事件のような、誘拐事件のような簡単に言うとそんな感じです。襲ってくる日がおおよそ想定できるような連絡が何日も何日も続きました。警察の協力のおかげで、犯人が特定できました。
でも、特定できたからと言って、安心できるものではありませんでした。
そんな日々が、何ヶ月続き。何年か続き。
1年が経ち、2年が経ちました。
もう大丈夫だとは、言ってはいけないのかもしれません。
小学生だったみいちゃんは、背も小さく、きっと抵抗する事も声を出して叫ぶ事もできなかったと思います。ようやく17歳になり、きっとある程度の力で抵抗ができるようになっているはず。
華やかな世界には、必ず影もあります。良い事ばかりではありません。ここでは、これ以上、深い事情はあえてお話が出来ませんが、想像をしてください。
この小説は、私の疑似体験をあなたができるのです。
我が子の誘拐が、防げなかったとしたら。
事前にわかっていたのに、もしも、守ってあげられなかったとしたら
もう私は生きていけないかもしれない。
悔やんで悔やんで。どう頑張っても悔やむ事の呪縛から抜け出せないかもしれない。
今も、私は、みいちゃんのボディガードです。母としての仕事以外に。ケーキ屋の経営者として。みいちゃんを人気者にしてしまった責任は、私にもあるのです。
経営者として、大切な従業員を守る指命を私は担っています。
あの時、どうしていたら良かったのか、答えなどありません。
それでも、世間には、何もなかったように、ケーキ屋さんを淡々を運営し、みいちゃんの成長と共に、皆に喜んでいただき、その様子がテレビでドキュメンタリーになる事を一緒に応援し、涙流していただける仲間がいました。
華やかな世界とのバランス。頑張りも苦労も全て見えないようにさせるわけには行かず。
その微妙なバランスを今も私が調整しています。誰も知らない暗闇も含め、そのバランスがシーソーのようにうまく楽しみながら遊べるような。
それが生きるという事なのだと、私は、思います。
続く
